2023年4月17日(月)20時~動画を公開いたします。
人生で一番旨かった飯はなんだろう──私の場合、とある夜にありついた御馳走が思い浮かぶ。
あの日の出来事、一生忘れませんhttps://t.co/F5qxaO6gpX— 絶望ライン工 (@zetsubouline) April 15, 2023
最近ヒツジが心の安定剤(?)としている絶望ライン工さんのTwitterより。
「人生で一番旨かった飯はなんだろう?」
とある週末に流れてきたTwitterですが、
週末のご褒美晩酌をしながらヒツジも考えてみました。
浮かばない…
「人生」って言うくらいだから、
子ども時代から考えたのが良くなかったのかも知れませぬ。
本当に浮かばない…
だいたい子ども時代の楽しい思い出がないんだから、
おいしい食事なんて思い出せるわけがない!!
こりゃいかん、
落ち込むわ…
ってことで、
直近から思い返してみました。
直近No.1は…
絶飲絶食から回復してはじめて食べた普通食。
この時の「米」の甘さ、ポテトサラダの心躍る旨さは間違いなく直近で一番おいしかった食事ですね。
ではその前は…
思い出せない。
見事な程思い出せないんですよ。
食に興味がないって言うのも原因かと思うんですが、
1つや2つあっても良くないですか?
美味しかった食事の記憶。
で、しばらく考えました。
一つ思い出しました…
海外のレストラン勤務時代にもらった残り物。
クラムチャウダー…
ヒツジさんね、
英語もさして得意じゃないのに留学して、
紆余曲折あってその街で働くこととなり。
海外って履歴書もって
自分で働きたい場所にでかけて交渉するんです。
英語が不自由っていうことよりも、
黄色人種ってことで門前払いをされることも多くてね…。
同級生の中国人や韓国人は清掃の仕事を低賃金でしてました。
日本人は裕福な親の子が多かったので、
そこまでの仕事はしてなかったですが…
ヒツジさんは運よく実習先で勤勉さを認めてもらいまして、
とあるローカルのレストランで皿洗いから開始。
最終的には揚げ物セクションとデザートセクションで働いていたのですが、
学校が終わってから夜遅くまで働くので、
賄いが出たんです。
もうねぇ、
肉・肉・肉・肉。
味付けがちょっと変わった程度の肉続き…。
最終的にはヒツジさん、
付け合わせのミックスベジタブルだけお願いして食べてました。
「エサか?」と笑われた記憶が。
トップシェフは女性でヒツジより10歳近く若いシェフ。
仲間の見習いシェフたちは更に若いシェフ。
でもヒツジさんを嫌うわけでもなく、
仲間として温かく迎えてくれました。
日本でも海外でも同じなんですけど、
問題はフロアで働くメンバー。
明らかに黄色人種を嫌うフロアチーフの女性は、
よくヒツジに怒鳴ってました。
英語が分からない!オーダーが通らない!
まぁ、怒鳴った英語なんてヒツジの英語力では理解できないのであんまり気にしてはいなかったですけどね(笑)
ヒツジにとって救いだったのは、
オーナーがヒツジのことをなぜか気に入ってくれていたこと。
多分他の労働者より日本人特有の「勤勉さ」を認めてくれていたのかも知れませぬ。
ヒツジのお給料は当時時給17ドル~20ドル位。
違法な低賃金で働くアジア学生が多い中、
きちんと法律にのっとって支払ってくれていました。
おかげで帰国の際、
日本で言う「年金的なもの」もいただいて帰国しました。
勿論性的な要求などなく(公立の専門学校時代には講師からは時折ありましたが、これはもう自分で守る以外誰も守ってくれまぬ!!)。
チップをもらったからとヒツジにも均等にわけてくれる程紳士でした。
そこで初めてもらった残り物のクラムチャウダー…。
「生活大変だろ?家で食べて」
といただいたのですが、
美味しかった。
高級レストランで食べるクラムチャウダーってこんなに美味しいんだ!と感動しました。
ヒツジさんのパートナーも決して裕福な人ではなく、ヒツジが働いているレストラン級の場所で食事をしたことがなく。
二人で感動した記憶がよみがえってきました…。
仕事はハードできつかったけど、
ヒツジの人生で一番努力して、
一番泣いて、
一番一生懸命生きた時代。
思い出せてよかった。
辛いことが多い最近だけれど、
そんな大切な思い出を思い出すことができたTwitter…
みなさんの一番惜しかった食事は何ですか?
ひつじ のROOM - 欲しい! に出会える。 (rakuten.co.jp)
このブログでは illust STAMPO さんのイラストを利用させていただいております。
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ありがとうございます(#^^#)
大変お世話になっておりますいらすとやさんには心から感謝です。